大企業の行く末

大企業オワコン問題

あなたの所属する組織、若者がいなくないですか。
いても1人とか。
60歳以上が過半数とか。

このような大企業は若者に人気がないんですよね。
今まではお金をエサに何とかなってたけど、別に給料もそこまで良くない時代が到来。
給料がエサにならない状況になったと。

給料がもらえるなら我慢してたけど、もう我慢できない。
嫌な上司の機嫌を取る代わりに。。。
あるいは、本来上司がやるべき仕事をやってあげる代わりに。。。
部下(自分)がお金というエサがもらえるならやってあげようと思えたけど、給料が安ければやる動機もない。

でも、上司(年配の人)はその理由で納得できない仕事もなんとかやってきた。
だから、若者も同じようにやるだろうと思ってしまう。
でも、実際に組織に若者がいないということは、そういう方程式が通用してないということ。

そういう組織というのは、要はこれまで蓄積してきた貯金を食いつぶしているだけなんですよね。
食いつぶしている状況に気づいていない。
あるいは、気づいているけど自分の責任じゃぁない。

次世代の若者を育てるというポジションを作らず、定年過ぎても昔の概念で働く人を使い続ける。
日本=国家もそうですけど、結局、身銭を切る必要がなければ泥棒が一番楽ですからね。

身銭を切るというのは、自分の行いに対して相当のリターンがやってくるという事です。
良くも悪くも。プラスもマイナスも。

でも、人が嫌がることをしても、相当のリターン、つまり自分に嫌なリターンがなければ、泥棒でもいい。
こういう人たちが少ないうちは何とかなりますが、もうなんとかならないんですよね。
過半数が泥棒だとね。
ノーポイントオブリターンなんです。

高速道路で渋滞時、路肩を走るひとたまにいますよね。
でも、そういう人はそういう人が少数である内はメリットがもらえるけど、過半数ならもらえない。
つまり、自分のような人がいなくなればいいのにと思いつつも、自分がそれを行っている。
泥棒というのは自分がいなくなればいいのにという概念なんです。

大企業も政治も、自分が楽したい人が過半数を占めるようになってしまったと思います。
要は泥棒ですよね。
楽したい人が多数になっては困る。
自分みたいな泥棒は少ない方が分け前が増えるという人が。

このような状態だと、本当の意味での生産者は参加しません。
楽したい、泥棒選手権にに勝てる人だけが参加するのでね。
泥棒選手権に聖人が参加しても勝てるはずがないので。

いかに何もしないでお金を儲けるか。
何もしないだけならいいんですけど、それだけじゃないんですよね。
この選手権は。

ゼロじゃなくて組織にマイナスなことをやっても、地位を維持できるか。
どれだけ国民や従業員がNOと言っても地位が保てるかの競技になっていく。
つまり、いかに地位は維持しつつ、組織にどれだけダメージを与えるかの競争というピットフォールに落ちるということ。

だから、権力者というのはブルシットな、無意味な仕事ばかりやらせるわけです。
組織にダメージを与えるために。
なぜなら、意味がない、またはより害悪な仕事を強制的にやらせることが権力を表すものだから。
権力が競争の基準であれば、無駄な仕事を増やせば増やすほど、組織にダメージを与えれば与えるほど権力が高い、地位が高いということになります。

でも、そんな無駄な仕事も、将来のリターンがなければ、ついていく兵隊もいなくなってしまう。
これが、権力者にはわからなくなっている程に、組織の劣化が進んでいるということですね。
先の若者がいない組織は。
普通の人は寄り付かない。

今までは給料を、将来の地位をエサに、無駄な仕事をやってもらうことができたけど、もうそのようなエサも通用しない水準に来てしまった。
こうなると組織はあるべき姿に戻るか、消滅するしかないんですね。
あるべき姿とは、権力に見合った身銭を切るという姿です。
あるいは、身銭を切る人が権力を持つという因果が正常な状態。

要は、身銭を切る人ほど、地位が高く、普通の何倍も他人のために働く状態。
そして、嫌なことはさせないという姿勢。
身銭を切った人が相当のプラスリターンもマイナスリターンも得るという姿ですね。

でも、それももう古い考えなんです。
権力うんぬんというのは、個、分断ありきの考え方。
既にその考えも終わっている。

そもそも、私たち人間は集団の力で食物連鎖の頂点に立っているわけで。
原理原則からいえば、個同士で優劣を競うのは間違ってるんですよね。
協力して集団で何かを成し遂げる姿こそ、人間の本懐なわけで。
多様性、弱みと強みを補完しあう姿が本質です。

つまり、友愛の時代なんですね。既に。共同体として何かをやって、利益は平等でもなく公平に分配する。
組織であればフラットな組織。
今風に言えばティール組織。

トップダウンの軍隊的なヒエラルキーはもう2世代前の考え方です。
国家が必要なのも、戦争という国家間の闘争があったからで、これも2世代前。
そして、今の義務教育も国家国民を作るための2世代古い教育。
もうそういう時代じゃないんですよ。

「なんでこんなものを会社に落とす!?これでは、会社が寒くなって人が住めなくなる! 核の冬が来るぞ!」
「会社に住む者は自分達のことしか考えていない! だから抹殺すると宣言した!」
「人が人に罰を与えるなどと!」.
「私、シャア・アズナブルが粛正しようというのだ、アムロ!」.
「エゴだよそれは!」.
「会社がもたんときが来ているのだ!」

ハイ、大丈夫です。
何かを落とさなくても、会社は自分でシャットダウンしますからね。

話はかわって、パタゴニアの創業者の話

アウトドア用品大手、米パタゴニアの創業者であるイボン・シュイナード氏(83)は14日、本人と家族で保有していた同社の発行済み株式のすべてを環境NPOなどに寄付したことを明らかにした。
米ニューヨーク・タイムズによると、30億ドル(約4300億円)に相当する。利益を環境保護活動に投じる新たな枠組みと説明している。

日経新聞Webより

シュイナードは公開書簡で、会社を売却してその収益を寄付することや株式の公開も考えたが、従業員の雇用とパタゴニアの価値観を維持するために所有権を手放したと述べている。

シュイナードは、この件を最初に報じたニューヨーク・タイムズ(NYT)に対し、「この取り組みは、うまくいけば、少数の富裕層と大勢の貧しい人々という構図に帰結しない、新たな形の資本主義の形成につながる」と語った。

シュイナードはNYTimesに対して、彼が会社を手放した理由の一つは、フォーブスの億万長者リストに掲載されたことだと説明した。「私は銀行に10億ドルも預けていないし、レクサスにも乗っていない」と、彼は述べ、このリストに載ることが「本当に腹立たしかった」と語っている。

2011年のブラックフライデーの広告で、顧客たちにパタゴニアの衣類を購入しないよう呼びかけ、すでに持っているアイテムを再利用するか、修理して着るよう求めていた。

フォーブズWebより https://forbesjapan.com/articles/detail/50430

自分がしてほしい事を相手にしなさいはよく聞くが、本当に大事なのは、自分がしてほしくないことを、相手にするなということ
→白銀律by身銭を切れ(タレブ著)


今後、企業というのは、自分がしてほしくないことを相手にしない企業が生き残っていく。(顧客にも、社員にも)
シュイナードは身銭を切っている。
自分の力に相応のリスクを負っている。
安全な所から何もせずに、お金を受け取っている組織の代表とは違う。

日本が貧乏になったのは、悲しい事だが、嬉しい事でもあるわけで。
お金から自由になって、嫌なことはやらない、好きなことだけに集中できる環境になったのだから。
もう、 権力者が権力を誇示するための、 ブルシットなJOBができなくなりつつある。

ブルシットなJOBに見合う給料は、安ければ安いほど、ブルシット度、美術点は高い。
しかし、もうブルシットなJOBと釣り合わないほど、給料は安くなってしまっている。
そしてお金がなければ時間が余る。
自分に割の合う仕事を吟味する時間も増える。

全ての仕事は吟味のためのJOB定義、つまり契約書が必要になり、好きなJOBにエントリーして、割の合う仕事をするようになるだろう。
JOB定義がなければ、何もしなくても何も言えないわけだから。
「○○やってほしいんですけど→できません。自分でやればいいんじゃないですか。」

やってもやらなくても給料があまりかわらないんだったら、やらない方がコスパがいい。
やってもお金目的じゃなくて、純粋に興味のある仕事だけ。
商品を選ぶように仕事を選ぶ。
「安全」にエントリーするために、JOB定義=契約が必要。
契約をやぶったら、双方にペナルティーが発生する=双方身銭を切るってやつで。

で、仕事をしたくなければ、最低の生活ができるベース給料だけで過ごす。
こんな、仕事の仕方になるだろう。

管理職はなくなって、社会のために、組織としてこういう事がしたいという発起人=プロジェクトマネージャがいて。
その理念に賛同するメンバーが参加して、対価を受けとる。
こんな組織になっていくだろう。

実際、ITプロジェクトも9割はブルシットなんですよ。
今の社内環境も理解してない人が、ITは良くわからないけど、新商品だから手を出してみよう的なノリで立ち上げる。

もうすでにバックオフィスは1つ塊の部で見ないと意味がない時代だし、組織も細かすぎるし、給料体系も古いし、全てが2世代前のままなので、そんな古い組織環境を前提としてITプロジェクトやっても何も変わらないんですよね。
あるとすれば、10年に1回、業務の棚卸という意味で、業務をドキュメント化してみるという程度でしょうけど。
ドキュメント化しなくてもなんとなく仕事はまわりますからね。
もっと高いレベルを目指すなら、ドキュメント化やKPIは役に立つんですが、現状維持が目標ならそんなものは不要。

ITプロジェクトでも同じで、身銭を切らない人は、無茶なITプロジェクトを実行したいんですよね。
無茶なほど、権力が高いという理屈だし、それに本人が気づいてないのが一番の問題で。
まっとうなプロジェクト程、周りから反対されないから、権力もいらないんですよね。
でも、それだと権力アピールができないんだよね。

で、もしちゃんとしたプロジェクトをやるなら、そのトップはどんな人というのが、先のシュイナード。
彼なら日々やっているのだろうと思う。
身銭を切るというプロジェクトね。

シュイナードが経営の最先端なのは、お金や地位が目的じゃなくて、社会に貢献したいという、理念。
みんなのためにという理念を持つ人がみんなから支持され、その会社の商品を買う。

利益の100%を理念のために使う。
自分のためじゃなくて。
こういう理念を持つホワイトな組織の商品を買う。
そんな価値観の組織しかビジネスでは生き残れない時代になると思う。

つまり、ホワイトな理念に対して、お金を払うということだ。
商品はそのおまけであって、ホワイトな理念に対する投票券としてのお金。
後は、ホワイトの選択基準の問題だけ。

例えばAKB48はホワイトとは違うけど、見た目上、頑張っている姿が美しいからお金を払うということ。
美しいもの=ホワイトにお金を投票するという仕組みに今後なるだろう。
ただ、その美しいものの解釈が人によってことなるわけで。
地球に対して美しいのか、うわべの美しさ=感動ポルノなのか。

今はまだ、感動ポルノ=見た目はホワイト、中身はブラックにお金を払う人がいると思うが、それも時間が解決してくれるだろう。
そんな余裕はなくなるからだ。
身銭を切らないと組織が生き残れない時代がくれば、組織で働く人の価値観がホワイトになるし、そうするとホワイトな企業の商品を見分ける力もつくだろう。

政治もしかり。
一時期は、見た目=美しさで判断されるが(それも今の世襲よりは良い)
その次の世代は、クリーンな政治家が選ばれるようになるんじゃないだろうか。
そうあってほしいし、自分もいまだに現場にいるのは、身銭を切る人が必要だから。
シュイナードのような人になりたいと思って現場で努力する日々だったりします。










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